読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

おやつはハニワに入りますか?

忘備録的なノリで書いています。主にジャニーズ(NEWS/嵐)。

降りた降りたと騒いだけれど結局よくわからなかった「担」の話

どうも。本日2本目。うるさくてごめんなさい。でも前のは過去に書いたものを上げたのでこれが本日1本目と言ってもいいよね。

絶賛精神こじらせ中のカインです。

画面の向こうのあなたが思ってるよりは元気です。

また長いタイトルになってしまったのですが、書き終わったらタイトルと論点がずれた気がします。何も考えず書いてるせいですね。ご容赦ください。

 

 

 

 

 

んで、本題。

 

「結局担ってめんどくせえええええええ!!!!!」

 

って話。

 

このブログ史上おそらく最大のタイトルを付けた壮大な(笑)担降り記事を書いておいてなんだよ!って言ってくれて構わない。結局大野さん降りてねえのかよ!って石投げてもいいです。槍を投げてもいいです。でもラメと卵は投げないでください。

 

 

というのも、確かに5/30の嵐にしやがれで大野さんにががーんとダメージをくらわされたんですけど

(詳しくはこちらを参照のこと)

掛け持ちヲタクがNEWSのコンサート映像を見ずに行ったWHITEコン二回で完璧にシゲアキ担になった話(完結) - おやつはハニワに入りますか?

 

中身は置いといてやっぱりかっこいいんですよね。彼。というか、嵐か。

4~6月はほぼ全く嵐関係の番組を見てなかったんだけど、V6さんが出るのは見たのね。

 

そこでまんまとやられたわけだよ、ばっきゃろーーーーー!

 

でもやられたのは、大野さんではなく、ババ抜きの決勝戦なんだよこれが。

櫻井氏、にのみさん、相葉さんのコンボ。

特に櫻井氏がイケメン過ぎて大変だった。

「あなたを殺すために・・・」ってあれはレットカードものでしょ!!

(というかなんでそんな表現したの翔くん)

そんなやりとりをみて、やっぱり嵐は見ててなんか気楽だな~と思ってしまったんですね。

 

 

降りたような降りてないようなふわふわしたところに着地した。

降りた宣言しても、CD,DVDは購入するし、FCは止めないし、コンサートには行く気だし・・・・・・。

 

 

私の中で嵐とNEWSは同じアイドルですが、明確に楽しみ方が違うなと気づいたわけで。

 

 

嵐=気楽に楽しめるエンタメ集団、老いも若いもなんでもござれ

 

NEWS=気楽に見ていたのにいつのまにかこちらが色々と考えさせられる集団

 

 

嵐のほうが手軽感があるんですよね。それもグループの個性なんだからいいと思う。楽曲を見ても、両者ともにポップでキャッチーな楽曲を作っても、嵐のほうが全年齢的な空気がどことなくあって、NEWSのほうが見た目は普通でもピンポイントで色々なツボを押してきて悶えさせるというコアな要素が強そう。

 

コンサートの作りも前者と後者では違うし、それぞれが求める答えも違う気がする。

 

嵐のほうが「消費されるコンテンツ」感が強い。現代的。生産されてはどんどん消費されていく。軽い。使用している技術は凄くても、どこかに「軽さ」が見える。そこに重さ・質量が見えない。つかめるのにつかめないとでもいうのか?アイドルらしいといえばそうなのだけれど。だからそこまで熱心に追いかけられない。すぐその場で消費して、その先がない気がする。点で止まってしまうような。永遠の王子様感があるともいえる気がする。

 

一方NEWS。こっちは一つ一つが残る感じと、「圧倒的愛の重さ」。色々あったしそうなってしまうのには若干の必然性を感じるものの、こっちの方が質量を感じやすいと思う。その生々しさが、時には私をダメにするのだけれど。(現在進行形)

だからどこも目を離せなくて自然と目で追い続付けなくてはいけないような気にさせらせる。

点に見えたものが線になる感覚を与えてくれた。

 

 

 

(私は両者は別物だと勝手に思っている。置かれている状況は全く別だ。だから感じ方に違いはある。比較は本来するべきものではないと思うが、そうしなければ物事が見れないので大目に見てください。)

 

 

前者を「いとこのお兄ちゃん」とするなら、後者は「近所のお兄ちゃん」なのだ。

 

 

 

 

 

結論は、「やっぱりどっちも楽しい」。

 

そうなると、担制度とは実に面倒で邪魔なものにしかならない。

では掛け持ちに戻ればいいのでは?ともなるが、戻れないと思う。

主軸はNEWSに切り替わってしまっている。

平等な愛は捧げられないのだ。

そこで過去存在したという「副担」システムが便利なのであるが、根本的に「担当」という言葉がやはり気に食わないというところにたどり着いた。

「担当」とは、ジャニヲタ同士の会話で用いるには実に便利な概念であるが、「担当」を指す言葉は必ずしも「担当」でなくても構わないのだ。

 

かつ、「担」には縛る作用がやはり密かに存在すると、使用して感じた。

「担」であるにはほかに好きな人はいてはならない、そんな脅迫に近い作用。

縛られることが嫌いだから、じゃあそんなの無くしてしまえ。縛ったのは自分という皮肉。

 

だから、おとなしく「ファン」に戻ろうと思う。

なぜ「ヲタク」ではなく「ファン」なのかと言われれば、「ヲタク」という言葉も実はそんなに好きではないからだ。

私が「ヲタク」と使うときは、「そういったほうが伝わりやすいから」「ヲタクということによって文章に自虐感を出すため」であった。でも、後者の使い方は2015年の今ではもう感じてもらえないだろう。

 

 

整理すると、私は嵐もNEWSも、大野智という人間も加藤シゲアキという人間も、好きなのだ。結局大好きなのだ。手放せないのだ。それぞれにかけられる熱量に違いが生じてしまっただけのことだったのだ。好きなのに熱量が違うとはなんか変なことを言っている気になるけれど。心のことはうまく言語化できない。でも、同じ「好き」でも段階が分かれることがあるというのはきっと理解していただけると思う。

 

嵐に対しては軽めに、NEWSには深めに向き合っていくことになるでしょう。

これじゃあ前と変わらない気もするけれど。

 

 

 

素直に「担当」と使えるジャニヲタにあこがれがあったのかもしれない。

かっこいいと私の目には映ったのだ。

「担降り」というセンセーショナルな言葉を使うことで注目を集めたかったのかもしれない。

 

 

 

サイズの合わない洋服は着るもんじゃあないね。

 

ひとはひと、じぶんはじぶん、十人十色でそれでいい